2020/11/10 10:00

山田哲平 1981年2月18日生まれ。
商社マンの父の仕事の都合で赴任先のポルトガルのリスボンで生まれる。2歳から17歳までは東京で過ごすが、また父の転勤が決まりブラジル・サンパウロへ。現地の高校に編入し、ブラジルの文化に揉みくちゃにされる。

高校2年と3年を終え、日本の大学に帰国子女枠で受験しようと思ったら要件を満たしておらず、急遽現地の大学を受験し、文学部に合格。この時人生の80%くらいの運を使い果たす。

1年学んだ後、どうしても日本のキャンパスライフを満喫したいという思いから京都の外国語大学を受験。ポルトガル語を専攻し更にポルトガル語に磨きをかける。この時は大学の先生になってポルトガル語を日本人に教えたいと思っていた。というよりも、なれると信じていた。

大学3年生時にはリオデジャネイロの大学に留学。国からの奨学金も得てカリオカ(リオっ子)との生活を満喫。留学中にポルトガル語の先生になると改めて誓いを立て、帰国後修士課程に進学。ポルトガル語のスラングについて研究。修了後博士課程に進学しようと色んな教授に相談していたところ、ある教授に「君は動機が不純」と釘を刺され、撃沈。博士課程進学を諦める。この時先生になる夢も破れる。

大学在学中から始めていたブラジル音楽を続けながら京都でフリーター生活をする。しかし、一念発起し東京に舞い戻り、ポルトガル語に関係する職を探すが見付からず、NHKでポルトガル語ラジオ放送のアシスタントや、在日ブラジル商工会議所でアルバイトを続ける。「このままでいいのか?」と思い悩む。

ブラジル料理店をやりたいという夢も持っていた。その夢の実現しようと歩みを進めていた。自分の気持が前向きになると、色々ことが運ぶようになる。

ある日ブラジル業界(ブラジル業界なるものが日本にはある)の知り合いに「ポルトガル語の教材作りたい」と自分の先生になりたかった思いをぶつけてみた。

すると「めっちゃいいじゃん!日本一の教材作ろう!」という話になり、その彼が撮影・編集を引き受けてくれて、友達のブラジル人に教材のテキスト作りを頼んだら引き受けてくれて、ブラジル人のモデルやってる友達に教材のアシスタント頼んだら引き受けてくれて、上智大学のポルトガル語の先生やっているブラジル人の友達に話したら監修を引き受けてくれて、みんな引き受けてくれたのでした。

多分ここで人生の残りの20%の運を使い果たした。

裏話的な話をすると、教材で僕が話している内容は、一語一句全部台本があり、それを作りました。最終的に8時間のコンテンツになったのだけれど、8時間分のセリフを書くって、本当に大変でした。それもこれも、一人でも多くの人にポルトガル語を理解して、この素晴らしいブラジルを知って欲しいという気持ちからです。

そんな経緯で完成したのが『例文から学ぶブラジルポルトガル語講義』です。”講義”としたかったのは、やはり大学で語学を学ぶのは言語好きにとって『夢』だったりするけど、この教材で学べば大学で高い学費払わなくてもしっかりポルトガル語学べるよ!っていう思いから。

ポルトガル語を学べば、日本語で話せる人+2億人くらいと友達になれるし、本当にブラジル人は2億人いれば2億通りのブラジル人がいるから面白い!そして、彼らは本当に心から「みんなトモダチ」って思ってるから、ポルトガル語話せれば約2億人友達増えます。

ブラジル人は本当に最高に面白い人達です。是非彼らとトモダチになってみてください。人生観変わるかもしれません。