2020/11/14 10:00

1996年17歳で父親の転勤でブラジルに渡った時に、インターナショナルスクールに行かず、現地校にこだわったのには理由があります。

ブラジル人の英語の発音はポルトガル語訛りだった

ブラジルに着いてからしばらくの間毎日時間が有ったのでサンパウロの色々な場所に行きました。その当時は勿論ポルトガル語もできず、辞書を持ち歩く毎日でしたが、街の人とのコミュニケーションはどうしても英語でした。

日本の高校2年生レベルの英語と言えばしれていますが、ある日CD屋さんに行ってあるCDを探している時にその事件は起きたのでした。

欲しかったCDが決まっていた僕は店員さんに英語で話しかけました。そして探しているCDのことを片言の英語で聞いたところ彼は英語が全くわからないらしく(もしくは僕の英語が伝わらなかった)困った顔をしていました。

すると近くに居た女性が歩み寄ってきて、「私が聞いてあげるわ!」と言わんばかりに僕らの間に入ってきました。そして彼女が一生懸命英語で説明してくれました。しかし、その英語も聞き取るのが大変で、一生懸命彼女の言葉に耳を傾けました。

「&%$##$ペルアッピス、、、ペルアッピス$%%##@」

と言っていました。なんとかCDの場所はわかり、彼女にお礼をしましたが、彼女のその「ペルアッピス」が何なのかしばらくわかりませんでした。しばらく考えたあとで謎が解けました。

”PERHAPS”

この単語はポルトガル語読みをすると「ペルアッピス」と読めるのです!何というブラジル訛りの英語なんだ。。。と、強く印象に残っていました。

後日親にインターナショナルスクールを勧められた時に、「僕はあんなブラジル訛りの英語の中で勉強したくない」と、17歳の少年は強く親に訴えたのでした。

実際のところ、アメスクなどのインターではそんな訛りがあるわけではなく、きれいな英語を学べるので問題なかったのですが、「ペルアッピス」事件は僕の思い出の中でかなりインパクトがあったのでした。(日本人が話す英語のほうがよっぽどひどいと、今では思いますが。)

ポルトガル生まれという自分のルーツにこだわった

そしてブラジルの現地校にいってポルトガル語を習得したかったもう一つの大きな理由が、自分がポルトガル生まれだったことです。

2歳までしか居なかったポルトガルですが、日本に来てからも、両親はポルトガル人の友人たちと交流が有り、クリスマスカードが来たり、留学生を家で預かったりと、僕の家はポルトガルの文化が香る家でした。

大きくなってポルトガルに家族で旅行をした時に、両親が訪ねる友人たちみんなが僕のことを知っていましたが、僕は彼らと話をすることができませんでした。せめて少しでもポルトガル語を話せれば、彼らと話ができるのに。と思っていました。

そんな時にブラジルの転勤が決まり、サンパウロに住むことになりました。せっかくブラジルに住んでいるのに、インターで英語を学ぶのはもったいない。そして、ポルトガル語を話せるようになって、ポルトガルの彼らと話ができるようになりたい。

そういう思いから、僕はブラジルの現地校に行くという選択をしたのでした。

2016年、新婚旅行でポルトガルを訪れた際、彼らとポルトガル語でコミュニケーションが取れた時は、「やっぱりポルトガル語を選択してよかった」と心から思うことができました。

信念を貫き通せば、後悔が少ないのが人生です。今後もポルトガル語やブラジル文化とともに歩んで行けたらと思います。